ネタがネタで済まなくなる日

サーバ監視のバイトやってるんですけど、そこの社員がオタクで自分の机やら共有スペースやらに、美少女フィギュアとか、ガンプラとか飾ってたんだ。
あくまでネタとして。「○○さんらしいですなぁ」なんて、来社したお客さんに笑ってもらったり、「実はこれ2万円するんです、そんなものをこんなとこに無造作に置いておく俺ってどうなんですかねww」なんて、オタクにありがちな痛さ自慢って奴ですか?よくわからんけど。

そしたらある日社長が視察に来て「これは何?」ってなって。

その人待ってましたとばかりに「あーそれはどこどこへ出張に行ったときに通りすがりのおもちゃ屋で見つけたレア物です。思わずおみやげにしました。そんでこっちはコンビニの景品、みんなでシール集めたのでこんな大量になっちゃいましたww」みたいな感じで説明始めたんですよ。
でも残念ながら社長は60過ぎで古い感じの人なので、そんなの全然通用しないわけですよ。
「まずいだろこれは、お客さんも来るところなのに。ここは君の部屋じゃないだろ。何を考えてるんだ?社会人としてどうなんだ?」みたいに、ネタに大マジレスされて。
その人顔面蒼白になりながら謝って、その日のうちに全部撤去。
集めたグッズを自らためらいもなくゴミ袋にガンガン突っ込む姿を見て、「あんたいつも語ってたグッズへの愛はどうしたんかいな」と苦笑しながらその様子を眺めててね、ふと思った。

こういう、ネタがネタで済まなくなる日って、絶対来るよ。


よくニートが2ちゃんで「会話しないと言葉忘れるよなww」「起きたら夕飯だったww」なんて言ってるけどね、そんなことしてるとあっという間に年とるでしょ。
そして親が死んでもまだ、「今からお通夜うぜぇww」「これからどうすんの俺ww」なんて携帯から書き込んでてもね。白い布がかけられた親の死に顔を見たら、ふと握ってる携帯へし折りたくなると思うよ。「俺は何をやっていたんだ。この人に何をしてきたんだ」と。そういう日が絶対来る。
それこそオナニー前後みたいに、一瞬で価値感がひっくり返って、ふと目が覚める。

これはもう勝手な想像だけど、松本人志も子供が出来たと知らされたとき、同じような経験をしたと思う。テレビのように半笑いでキョドりながら「えぇぇ!」なんて、言ってられなかったと思う。「俺も、親になるのか」「ついに結婚か」と、自分の人生を見つめなおしたと思う。


最近自分自身をネタにする人多いでしょ。特にネットばかりやってると、感覚が麻痺するからね。「ネトゲ廃人」「モテない自分」「ニートである自分」「社畜である自分」「妻に物言えぬ自分」なんかを自虐的に笑いにつなげるてるけど、ある日突然笑えない日が来るよ。
逆に普段から目が覚めたときの自分を想像しながら生きると、自分にとって本当に大事なもの、力をかけるべき物、人生の目標は何かが見えてくるかもしれない。


よく俳優が死に際まで仕事の事を心配してたとか、歌手が歌を歌ってたとかいう話を聞くけど、そういう人は本当にそれが生きがいなんだろうね。逆に、さっさとフィギュアをゴミ袋に詰めた社員は、好きだと思ってただけで、違ったんだろうね。