楽天のセキュリティに関する話題があがったけど、もっと浅いところでも問題があるよ。

例えば商品レビュー
最近こういうレビューをやたら多く見かけませんか?

評価:★★★★
色が気に入ったので買いました。
商品到着が楽しみです。

これね、最初は単に書いた人がバカなだけかと思ってた。
商品の実物に触れられないネット通販にとって、実際に購入して使ってみた人の感想ってのは一番大事なのに。
「てめぇの購入動機なんて知ったこっちゃねーよ。」
「平均☆数があてにならなくなるから、届く前から★付けるんじゃねーよ。」
使用感とか、店の対応評価を書いておくれよと。どんだけ他人の気持ちがわからん奴なのかと。

でも違った。実際はこれ、店側が煽ってた。こないだある店でパソコンチェアを買ったら、!重要!ってタイトルでこんなメールが届いた。

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※弊社商品発送までに書いていただいた方限定※
(商品出荷後はオンラインクーポンの発行となります)
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「発送までに」ってのがミソ。そりゃ変なレビューが増えるわけだと。
でもって詳細が書かれたリンクを見てみたらさらにびっくり。

レビューの内容は、お店や商品のイメージ、誰の為にお買い上げ頂いたか、価格、使い道に関する内容でお願いします。
■×間違った例
・商品が届くのを楽しみにしています。
・まだ届いていませんが・・・

絶句した。これはひどい
例えば「色が気に入りました!」とだけ書かれたら本当の商品レビューと到着前に写真だけ見たレビューの区別がつかなくなる。
そうか、「間違った例」とまで書かれてもなお「商品が届く前」だという明記をした人達は、
3%割引に心奪われダークサイドに落ちつつも心の奥底で最後の良心が断末魔の叫びとなって表れていたわけだ。
オージーザス、罪深きパンダをお許しください。今までバカにしてごめんよ。君達は戦っていたわけだ。


そしてさらにエグいのがこれ

商品レビューを書き終わりましたら「レビュー書いたよ」と、
頂いた★の数と、どのようなレビュー内容をお書き頂いたかを
下記メールアドレス宛に送って下さればOKです。

「買った物とレビュー投稿者が合致しないと値引きできないから、これは仕方ないよね」という建前で、
「てめぇら割引してもらう分際で変なこと書いて送ってきたら承知しねぇかんな。誰が何書いたかこっちはお見通しだかんな。」
という脅し。これじゃとても悪いレビューなんて書けませんわな。

いやこれ、本当に氷山の一角かもしれないよ。最近どこもかしこもうさんくさいレビューばっかりだもん。
「こっそり」とあるから楽天は禁止してるけど店が勝手にやってるのか、それとも黙認してるのか、推奨してるのか知らないけど。どうにかすべきだろうよこれは。と思って楽天の問い合わせメアドを軽く調べてみたけど見つからず。
うーむネット企業のうさんくさいところがこれだ。ヤフーのヤフーBB解約手順なんて到底素人にはたどり着けないところにリンク張ってあるからね。申込み方法はうざいほどリンクあるのに。


まだいろいろあるんだけど、疲れてしまったから今日はここまでにします。
興味があればこちらも読んでいただけるとひまつぶしになるかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/panda_q/20081225/1230230797

真面目すぎたいとこの話

http://anond.hatelabo.jp/20090523220328

ばあちゃんから聞いた、うちのいとこの話。
同じく兄が重度の知的障害を持っていて、妹が18歳。
妹が福祉の大学に行くと言ったとき、回りは複雑だったそうだ。
「本当に福祉をやりたいのか?おまえはおまえの人生だ。自分の好きに生きていいんだぞ。」
増田家と違って、親はこんなことを言ったそうだ。でも妹は睨み付けて答えた。


「そんなこと言っても、いずれお父さんもお母さんもいなくなってしまうじゃない。そしたらお兄ちゃんの面倒を見るのは私しかいない。お母さんみたいな自己流の介護じゃ後でたいへんなことになる。家族なんだから、施設に入れるなんてことは絶対しない。だから私はこの大学に行って介護の事を勉強して、将来は福祉施設で働く」と言って、進学した。


僕はその話を聞いたとき、18にして運命を受け止める覚悟をしているいとこに感服しつつも、とてつもない悲しみとぶつけようのない怒りが沸きあがって来たのを憶えてる。希望にあふれ夢は無限大なはずの18歳に、進学や就職まで縛る権利は誰にあるのか。せっかく自由な日本で生まれたのに。同級生達は何のためらいもなく好きな選択をしているのに。そんな重いもん背負ってたら、下手すりゃ結婚だって影響するかもしれない。しかも本当の地獄は親が死んで、彼女の体力が衰えた中高年になってから訪れる。そして彼女はそれも知っている。これはなんなのだろう。なんだこの宿命は?なんで彼女が?兄のせい?親のせい?神のせい?

最初は「正面から向き合ったら、それだけで人生が終わるよ。」とでもアドバイスしようと思った。でも、どうやらそれすらわかっていて、つまりは自分の人生全てを兄貴にささげるつもりらしい。

僕は未だなんと言えばいいのかわからない。
増田の反応やブクマは、「知ったこっちゃねーよ自分の人生好き勝手やるからなって言ってやれよ!」と言う意見が多いみたいだけど、逆に好き勝手に生きないことに決めたいとこに対し「それは馬鹿な生き方だ」と言う勇気がない。

ネタがネタで済まなくなる日

サーバ監視のバイトやってるんですけど、そこの社員がオタクで自分の机やら共有スペースやらに、美少女フィギュアとか、ガンプラとか飾ってたんだ。
あくまでネタとして。「○○さんらしいですなぁ」なんて、来社したお客さんに笑ってもらったり、「実はこれ2万円するんです、そんなものをこんなとこに無造作に置いておく俺ってどうなんですかねww」なんて、オタクにありがちな痛さ自慢って奴ですか?よくわからんけど。

そしたらある日社長が視察に来て「これは何?」ってなって。

その人待ってましたとばかりに「あーそれはどこどこへ出張に行ったときに通りすがりのおもちゃ屋で見つけたレア物です。思わずおみやげにしました。そんでこっちはコンビニの景品、みんなでシール集めたのでこんな大量になっちゃいましたww」みたいな感じで説明始めたんですよ。
でも残念ながら社長は60過ぎで古い感じの人なので、そんなの全然通用しないわけですよ。
「まずいだろこれは、お客さんも来るところなのに。ここは君の部屋じゃないだろ。何を考えてるんだ?社会人としてどうなんだ?」みたいに、ネタに大マジレスされて。
その人顔面蒼白になりながら謝って、その日のうちに全部撤去。
集めたグッズを自らためらいもなくゴミ袋にガンガン突っ込む姿を見て、「あんたいつも語ってたグッズへの愛はどうしたんかいな」と苦笑しながらその様子を眺めててね、ふと思った。

こういう、ネタがネタで済まなくなる日って、絶対来るよ。


よくニートが2ちゃんで「会話しないと言葉忘れるよなww」「起きたら夕飯だったww」なんて言ってるけどね、そんなことしてるとあっという間に年とるでしょ。
そして親が死んでもまだ、「今からお通夜うぜぇww」「これからどうすんの俺ww」なんて携帯から書き込んでてもね。白い布がかけられた親の死に顔を見たら、ふと握ってる携帯へし折りたくなると思うよ。「俺は何をやっていたんだ。この人に何をしてきたんだ」と。そういう日が絶対来る。
それこそオナニー前後みたいに、一瞬で価値感がひっくり返って、ふと目が覚める。

これはもう勝手な想像だけど、松本人志も子供が出来たと知らされたとき、同じような経験をしたと思う。テレビのように半笑いでキョドりながら「えぇぇ!」なんて、言ってられなかったと思う。「俺も、親になるのか」「ついに結婚か」と、自分の人生を見つめなおしたと思う。


最近自分自身をネタにする人多いでしょ。特にネットばかりやってると、感覚が麻痺するからね。「ネトゲ廃人」「モテない自分」「ニートである自分」「社畜である自分」「妻に物言えぬ自分」なんかを自虐的に笑いにつなげるてるけど、ある日突然笑えない日が来るよ。
逆に普段から目が覚めたときの自分を想像しながら生きると、自分にとって本当に大事なもの、力をかけるべき物、人生の目標は何かが見えてくるかもしれない。


よく俳優が死に際まで仕事の事を心配してたとか、歌手が歌を歌ってたとかいう話を聞くけど、そういう人は本当にそれが生きがいなんだろうね。逆に、さっさとフィギュアをゴミ袋に詰めた社員は、好きだと思ってただけで、違ったんだろうね。

ニート、ヒッキー、いじめられっこ、リストラ、ワープア・ネカフェ難民のみんな、現実感のない恋愛歌に嫌気がさしてる非モテのみんな、X-JAPANを聴こうぜ。

最近のYOSHIKIは、なんかTV番組だと特別扱いされてるし、ただの自己中ナルシストにしか見えないかもしれないけれど、少なくともかつてのYOSHIKIは熱い男であった。
そして僕の人生は、YOSHIKIの曲に何度救われたかわからない。
思春期の理想と現実と失望と迷いの中で、しかしエネルギーだけは有り余って爆発寸前になりながら悶々とする日々に、唯一魂まで響いたのがXの曲だった。

訴えかけるものがあるから

1980年代に発表された「オルガスム」という高速ナンバーがある。
女のあえぎ声からイントロが始まり、サビが「深く突き刺せ」であるこの曲は、最初はただのエロい曲だと思って、男子校にいて女と無縁だった自分はあまり好きではなかった。
でも何度か聞くうちに、エロはただの比喩に過ぎないことに気づいた。
(後述に解説を載せたため、各行に番号を振ってある。)


オルガスム  作詞 白鳥瞳(=YOSHIKIです。中2病なペンネームなだけです。)


1 わかりきった明日に怯える
2 火の消えた心の壁破れずに
3 お前は求めているんだろ
4 刺激に抱かれた Making love
5 身体に布きれ装っても
6 天国へ行けないぜ


7 自惚れたあいつに縛られ
8 身体を駆け巡る血が叫けぶ
9 吐き出す言葉に爪を研ぐ
10 鎖に巻かれた Pleasure of mind
11 乾いた砂漠で踊っても
12 時の檻破れないぜ


13 Get to オルガスム Get to オルガスム 身体とかせ
14 Get to オルガスム Get to オルガスム 深く突き刺せ

これはまさに負け組のための応援歌じゃないだろうか?
自分なりの解釈を書いてみた。(異論は認める。)


1,2行目 「このままじゃいけない」という不安感を抱きつつも、きっかけをつかめず引き篭もり続ける奴に、
3,4行目 本当は刺激に満ちた人生を求めてるんだろ?と肩を叩き、
5,6行目 くだらねープライドなんか捨てちまえ、思いっきり恥かいてこそ道は開けるんだぜと叫ぶ


7,8行目 調子のいいいじめっこや上司に毎日いじられ、やり場のない怒りで爆発しそうになって、
9,10行目 次々と攻撃的な言葉が沸いてくるも、ぶつけるべき相手には言えない
11,12行目 だからといって2ちゃんに撒き散らしたところで何も変わらないぜ
13,14行目 最高の人生にしろ、ぐちゃぐちゃになるまでやってみろ


1980年代にこの詩を書いたYOSHIKIは天才だと思う。
いや、当時だからこそ書けたのかもしれない。
他人事のように淡々と恋愛事やきれいごとばっかり並べる現代のJpopとは違い、心に突き刺ささる何かを感じないだろうか?
作り手と自分との対話を感じないだろうか?そして音楽とは、ロックとはこういう物を指すと思う。


もういくつか紹介

紅  作詞 YOSHIKI


嵐吹くこの町がおまえを抱く
吹き抜ける風にさえ目を閉じる
おまえは走り出す
何かに追われるよう
俺が見えないのか
すぐそばにいるのに

X  作詞 白鳥瞳(=YOSHIKIです以下rya)


さめきった街に別れを告げ
荒れくるう刺激に身をさらせ
あいつの瞳は光り失せた
燃えくるう心は操れない


乱れた愛に流され おまえは全てを失った
身体貫く叫びで おまえの心壊してやる


錆付いた言葉投げ捨てて
張り裂ける心を解き放て
降りしきる雨に背を向けて
息づく奴らに言葉はない


埋もれた時に戸惑う おまえは悪夢をさまよう
血の気震わすNoiseで おまえの心壊してやる


X 感じてみろ X 叫んでみろ X 全て脱ぎ捨てろ
X 感じてみろ X 叫んでみろ X 心燃やせ


中高生時代の僕は不条理な目にあってやけくそになったり、逃げ出したくなったりするたびにこれらの曲を聴いて「そうだ、俺にはXがついてるじゃないか」と勇気づけられる相当痛い奴だった。
でもね。「俺が見えないのか?すぐそばにいるのに。」
こんな熱い言葉が他にあるだろうかと今でも思う。

恋愛思い出話なんてクソくらえ、負け組だったら「夢破れた自分」だろ?

さて、負け組たる者ときには哀愁に浸りたいこともある。J-POPだともっぱら別れた相手のあまっちょろい思い出話で話にならない。僕達の心を打つのはこっちの方だろう。


「顧みる過去にむしばまれ血を流す」「血迷う心のかけらは 影も形もない夢を今も追い続けてる」Vanising loveより


「孤独に怯える心は今も、過ぎ去った夢を求めさまよう」Blue bloodより


「理想は現実の墓の中で、笑われるままその目を閉じた」「Game is over役立たずで死ね」Miscast(HIDE作詞)より


「傷つくだけ傷ついてわかったはずの答えを、どうしてまだ問いかけてる」The last songより


「I still remember 答えのない明日に 夢を求めていた日々を」
「限りなく広がる空に もう一度生まれた意味 今を生きる意味を問いかけて」Without youより


Xのファンというと、コスプレ女性ばっかりだというイメージがあるかもしれないけれど
実際コンサートに行くと男性の方が多いくらいだ。
2008年復活ライブの時、僕の隣はミスターオクレ似の、ザ銀行員みたいなやせほそったおっさんだった。
おっさんはこぶしを握り締めながらわなわな震えて泣いていた。
そのとき連れて行ったうちの母親もすっかりファンになっていまい、その後の日本のコンサートは全部行ってた。


今回は詩について書いた。もちろん純愛バラードもあるけれど、特に初期のX時代は熱い詩が多かった。
でもXの本当の良さ・すごさは曲にある。
音楽の知識が全くない僕が音楽を語るという時点で相手にしてくれないかもしれないけど、普段邦楽しか聴かない人はこれを知っていれば間違いなく音楽を100倍楽しめるようになるので,機会があれば曲について、話そうと思う。



復活初ライブ オープニング映像

あの洗脳野郎は本当にXの曲を歌うのか?40過ぎて、昔のような高い声が出せるのか?
長い伴奏の中、ファンの誰もが不安に思いながら待ちにまった10数年ぶりの第一声は、
解散前のラストライブ最終曲:The last songだった。
「終わらーなーい雨〜〜」
なんだ、何も変っちゃいないじゃないか。俺の青春時代の、あのときのTOSHIじゃないか。
ふと隣を見ると、ミスターオクレ似のおっさんがこぶしを握り締め、涙していた。

若者のための「新年のご挨拶」マニュアル

結婚式、葬式、新年の挨拶回り。自分はそういう大人の儀式からとことん逃げ回って生きてきた。
でもいつまでも逃げてるわけにもいかず、または意図せずもそんな場に放り込まれるケースもあるだろう。
正月なんか特に。。
まったく大人はくだらないことばかりしやがる。ほんとうんこだ。でもそのうんこ達に、あいつはいい年して挨拶もできんのかと思われるのもシャクだし、「○んちの子はしつけがなってない」なんて親戚中に言いふらされたら親がかわいそうだ。

ということで、新年の挨拶について基本的な作法をNHKのマナー講座で学んだので共有します。コミュニケーションが苦手な人や作法に弱い人はチェケラ。
なるべく日常会話で済ませるようにしているので、かしこまったり決まり文句のベタ発言するのがどうも恥ずかしいという人も参考にどうぞ。


新年の挨拶回り

  • 訪問編

まずはアポ電

アポ電で言っておくべきことは「訪問日時」「滞在予定時間」もちろんまず相手の空いてる時間を聞いてそれに合わせよう。滞在予定時間を伝える意味は、後述 撤収 項を参照。

当日は告知時刻ジャストか、2、3分遅れて訪問すること

相手の家はまだ準備中かもしれない。トイレに行ってるかもしれない。予定ちょうどか少し遅れるくらいでちょうどいい。

呼び鈴を鳴らす前にコートを脱いでおく

寒くても我慢だ。

後ろ手でドアを閉めない

ドアを開ければご対面。相手を見なくちゃ!話さなくちゃ!と意識しすぎるとついやってしまいがち。焦っているか、雑な印象を与えてしまうのでドアは横に立って丁寧に閉めよう。

相手に背を向けて靴を直さない

ひざを付き、半身傾けスマートに。

玄関でおみやげを渡さない

これもテンパってるとやってしまいがちだ。おみやげは部屋に入った後に渡すのだ。
(ただし冷蔵・冷凍モノはここで渡して冷蔵庫へ直行してもらったほうがいい。)

部屋に入ったら、まず座布団横に正座

うながされるまま即座布団、即コタツでモフっちゃうのは中学生まで。

挨拶

正座したまま両手を前方10センチほど前に出し重ねて畳(床)につけ、頭と背中が平面になるくらい頭を下げる。文言はかしこまらずに「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。」程度で十分。

おみやげを袋から出して渡す

挨拶が済み次第おみやげを渡す。必ず手提げ袋から取り出して渡そう。その際、大人ぶって「つまらないものですが」とは言ってはいけない!「ほほう、つまらないものを、この私に?」と返すネタがあるように、失礼なので避けた方が無難。「心ばかりの物ですが」等がベター。かしこまった言い方が恥ずかしいようなら「あのこれ、よろしかったらどうぞ召し上がってください」等でも全然OK。

その際相手との距離があり渡しづらい場合は、正座のまま両手を握り前方に置き(ゴリラフォーム)、両手を支点にケツだけを浮かせてすーっと移動させて前方移動する。あまり下品でなければ多少スリスリしながら寄ってもいいと思うよ。

団欒タイム

飲み過ぎず、食べ過ぎず、会話重視で行こう。

ネタに困ったらどうぞ
・子供ネタ(今日はお子さんは? 初めて会ったときはこんな小さかったのに)等、つまんねー話で十分
・出された料理をほめる(この松前漬けはおいしいですね、手作りなんですか?作り方を教え・・)等、くだらねー話で十分
・部屋にあるものに食いつく(おっ、その写真、富士山に行かれたのですか?)
(この液晶テレビ映りいいですね〜うちも地デジになる前にほしいんだけど、どこで買ったんですか?)等、どーでもいい話で十分
・思い出話(寒いといえば、小学生の頃一緒に釣りに連れて行っていただいた時も相当寒かったですね)等、以下rya
・その他キーワード、結婚、景気、他の親戚の情報 等

ガキにお年玉をあげる

相手が子供だからといって、適当にあしらってはいけない。奴らのバックには親がいることを忘れるな。必ず相手の正面に向きなおし、両手で差し出すこと。
(お金はおごそかに、丁寧に扱わないといけないということを子供に示す勢いで)

金額はその年齢の子の一ヶ月のお小遣いが目安。
または相手家との暗黙の取り決めや地域ルールによるので、自分の親に相談しておこう。
相手が赤ちゃんの場合は親に渡すか、おもちゃ直渡しでもいい。


お年玉金額目安

年齢   親戚の子/近所の子
・幼稚園 ¥2,000/¥2,000
・小学校低学年 ¥3,000/¥2,000
・小学校高学年 ¥3,000/¥5,000
・中学生 ¥5,000/¥5,000
・高校生 ¥5,000/¥5,000
・大学生 ¥10,000/―

また、親が自分の上司であるなど、目上の人の子供の場合は、袋の表書きに注意しよう!「お年玉」ではなく、「お年賀」になる。
ただ、渡すときは子供に向かって「お年賀」というのも不自然なため、「これはおじさん(おばさん、おにいさん、おねぇさん)からのプレゼントだよ」と言って渡すのが自然とのこと。なお、中身は現金ではなく、図書券や商品券の方がいい。(子供としては現金の方が喜ぶだろうが、親に失礼がないことの方が重要だ)

撤収

タイミングはあらかじめ電話で伝えておいた「滞在時間」の経過が目安。
ここでアポ電の宣言が生きてくる。話の切れ目を狙うとは言え、なかなか帰ると言い出すのはむずかしいものだ。あらかじめ「15分程度」等伝えておけば、「おっもうこんな時間か」と自分も相手も予定通りの行動としてスムーズに運べる。

  • 来客編

基本的に訪問編の受け側になるだけなので、挨拶の仕方などは真似っこしてればいい。
違いは以下2点

受け取った年賀(おみやげ)は、その場では開けずに背後の床の間やテーブルの上に置いておく。

誕生日やクリスマスとは違うんです。相手が帰ってからむさぼり食おう。

相手が帰ると言い出したら、もう少しゆっくりしていってくださいと引きとめよう。

昔は社交辞令として3回は引き止めなくてはいけなかったが、今は平均1.5回だそうだ。くだらねー。なお、本当に帰ってほしくないときは「せめてあと30分だけでも」「あと10分で夕飯の準備ができますので、是非食べて行ってください」等、具体的に「数字」を出すこと。数字を出せば相手に「どうやら本気のようだ」と思ってもらえるからだ。


以上 グッドラック。

贅沢の仕方について

ヤフーニュースでワケあり蟹が人気と聞いて、楽天カニを検索してみた。
あるわあるわ、どこもかしこもワケありワケあり。
足が折れてたり、汚かったり、身入りの悪いカニをかき集めてワケあり商品として安く売るのだ。

でもそんなもんは、絶対買っちゃいけないんだ。
家が貧乏だからとか、関係ないね!
カニってのは贅沢品なんだ。贅沢品ってのは、決してケチっちゃいけない。
予算が足りないのなら、貯まるまで何ヶ月だろうと待つべきだ。

中途半端な贅沢は、悲劇しか生まない。買ったらどうなるか教えてやろうか。
あなたはワケあり蟹を注文してから届くまでの間、きっとわっくわくで過ごすことだろう。
職場で配送状況を何度もネット検索したりするんだろう。
あなたが親なら、「カニ買ったからな、楽しみにしてろよ」なんて、子供に言うんだろう。
その頃にはあこがれだけが湧き上がり、それがワケありだなんて頭でわかってても心では忘れる。
そしてついにその日がやってくる。期待を膨らませてフタを開ければ、
「これで本当に2キロか?」という量の「薄汚いカニ」がお目見えするんだ。
「ま、ワケありだしな、中身は同じなんだから・・」と自分を言い聞かせ、気を取り直して茹でてみる。
「ううむ、なんか茹でたら、身が縮んだな。。」と思いつつも、一口。
「うげ、塩気が強すぎる!きちんと塩抜きしたんだけどなぁ」
場の雰囲気は一気にしらける。
そして家族4人で食べるには、当然足りない。
「お母さんはおなかいっぱいだから、残りは全部食べていいよ。」子供に遠慮する母親。
「う、うん。」それを見透かす子供。
最後には「まぁ、カニが食えただけでも満足するか」なんて、自分を言い聞かせて終わりだ。

こんな悲劇があるか!こんな残酷な仕打ちがあるか!なんのために高い金払ってカニを買ったんだ?贅沢をするはずじゃなかったのか?
本当のことを言えば、あなたはカニなんかどうでもよかったのだ。幸せに浸りたかっただけなのだ。
家族みんなで集まって、コタツで鍋を囲って「うわー大きい!おいしい!」って満足して、みんな笑顔で幸せに包まれたかったんだろ?そのためのツールとしてカニを買ったんだ。

それなのに、なんとひもじいことだろう。まだ何も買わない方がましだ。
レビューを見てみろ
「写真で見るとたくさんあるように見えたんですが・・・」「塩気が強すぎます」「身がスカスカでした」
幸せを求めて、幸せをつかめなかった人達の吹き溜まりじゃないか。なんともみじめじゃないか。
みんなこのレビューをどんな気持ちで書いてるか、店の奴はわかってるのか?
ガキの写真と対比した小細工写真やら、煽り文句やら、全米No1ヒット並にアテにならないランキング1位自慢やら、そんなのクソくらえだ。

なぜ俺がここまで言うのか。
それは俺が同じような家で育ったからだ。
贅沢の仕方を知らない親の元で育ったからだ。身に染みてそのみじめさを知ってるからだ。
だから俺は今年も楽天なんかに売ってない最高級の蟹を、身のぎっしり詰まった、真っ赤なタラバガニを、「確実」に食べきれない量を買って田舎に帰るんだ。
そんでリストラ親父と、ワープア母ちゃんと、ボケ出したばーちゃんと、いつまでも彼女が出来ない弟と一緒に「うわぁ超うめぇ!」なんて言いいあいながらはふはふ食うんだ。
その一時間は至福のひとときだろう。それだけで、うちは気持ちよく新年が迎えられるんだ。


よーく覚えておけよ
贅沢するときに大事なのは、「注意書きのない幸せ」だ。
世の中の幸せは、注意書きに溢れてる。なかなか全部うまく行くことなんてまれだ。


「通話料無料!」※ただし同キャリアでの通信のみ
「早稲田受かったよ」※夜間だけどね。。
「オリンピックでメダル取った!」※金を期待されての銅だけど。
「子供が生まれた!」※でも障害があるんだってさ
「ついにマイホームを手に入れた」※でも俺、余命半年


これが現実だ。完全なる幸せなんて、いくらがんばってもそうそう訪れっこない。
だからこそ、せめて贅沢するときくらい「注意書きのない幸せ」を体験するんだ。
それが贅沢の仕方というものだ。